2012年3月23日金曜日

グリーンベイ・パッカーズ ニュース 2008年01月29日: ボブ・ハーラン会長のインタビュー - Packer Zone


ボブ・ハーラン会長のインタビュー

金曜に最後の出勤をしたボブ・ハーラン会長。月曜からは名誉会長に退き、1年間は相談役としてマーク・マーフィ新社長のサポートをすることになっている。もともとは昨年6月1日にジョン・ジョーンズ社長にCEOを譲るはずが、不適格と判断して直前で解任を決定。役員会は数ヶ月かけて先月マーク・マーフィを後継者に選び、ハーラン会長は7ヶ月遅れでようやく引退させてもらえることになった。

Q. ジョン・ジョーンズ社長に後任を任せられないとはっきりしたときは失望したことでしょうが、引退が1年延びたおかげでパッカーズの躍進を見られてよかったのでは?

ものすごく楽しめたよ。今季はどうなると思う?と昨夏聞かれて、「4勝12敗から8勝8敗になったことだし、もし9勝7敗か10勝6敗にできればワイルドカードのチャンスがある」と私は答えた。本当にみごとな成績だった。テッド(トンプソンGM)が来て最初の2年間というもの、彼を雇ったことを非難する電話や手紙がたくさん来たが、最近その人たちが手紙をくれて、「2年前にひどいことを書いてしまったが、私が間違っていた。素晴らしい人事だった」と言ってくれたんだ。私が一番嬉しかったのはそういったことだ。

私は、自分が去る前にフットボール部門(の組織)を整理しなければならないと感じていた。マイク・シャーマン(HCとGMを兼任)の時はそうでなかった。だから私が去る前にテッドに来てもらうことが非常に大事だった。ジェネラルマネージャーとヘッドコーチの関係を正常化したかった。今は、若く将来性のあるチームだ。この(大改築成った)スタジアムのおかげで、収益も上がっている。フットボールに関しても素晴らしいリーダーシップがある。よいフットボールチームを残すことができたと思う。


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Q. 今季の好成績はジョーンズ解任騒動の埋め合わせになった?

打撃を和らげる働きはあったね。8勝8敗より13勝3敗シーズンの方が交替は容易だし、マイク・マーフィならば安心して任せることができる。いつも言っているように、私は世話人なのだ。「私はチームを所有しているわけじゃないし、投資をしているわけでもない。しかし在職のうちによりよいチームにして次に手渡すことが私の責任だ」というのが私の口癖だった。そして、その通りにできたと感じている。

Q. 在任中で最も困難だったのはジョーンズ社長を解任したこと? ミルウォーキー撤退を決めたこと? スタジアム大改築のための売上税を住民投票にかけたこと?

やはりミルウォーキー撤退(1994年まで公式戦を行っていた)が一番つらかった。我々は60年にわたってあそこで試合を行ってきた。ミルウォーキーの支えがなければ、パッカーズは今ごろ存続していなかったことだろう。あのときほど、眠れずに悩んだことはなかった。

2000年の住民投票の直前は、私にとって最も厳しい8ヶ月間だった。今であれば、とても大改築プロジェクトはできなかっただろう。とても無理だ。そして、今ごろパッカーズの収入はリーグ31位か32位になっていたことだろう。建設業者に言わせると、もし今から始めたらコストは2倍になると言うんだから。$295ミリオンで成し遂げることができたが、今なら$600ミリオンかかるらしい。だからビジネス上では、スタジアム大改築が最も困難かつ最善の決断だった。

Q. サラリーキャップ制度の維持が、パッカーズの成功には欠かせないと常々おっしゃっていますが、近いうちにNFLと選手会が決裂して労使協約がなくなってしまう可能性もあります

それが最大の懸念だ。将来もこのシステムを保っていけるかどうか。我々は全スポーツで最高の、他がうらやむようなシステムを備えている。1993年にサラリーキャップ制度導入が決まった会合のことをよく覚えているよ。決定したあと、私はポール(タグリアブー)に歩み寄り、お礼を言ったんだ。フリーエージェント制が始まることを、我々は心底恐れていた。だから私は彼に、「グリーンベイは心から感謝している」と言った。


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Q. 最も重要なのはフィールドでの成功だ、というのが口癖ですね

スタッフにいつも言っていることだ。役員会や理事会でもね。「みんなスタジアムを愛しているし、収益も上がっている。新しい収入の道を探すことも大事だ。しかし、最も重要なのは日曜の午後なのだという事実を見失っては何にもならない。ファンが求めているのは勝利だ。そして、勝ってさえいれば、それ以外のビジネスは自然とうまく行くものだ」とね。

カギは、優れたGMが必要だということだ。私が行った最も重要な人事はGMを選ぶことであり、私はロン(ウルフGM)とテッドを呼ぶことができてとても幸運だった。ロンは、長い低迷から我々を救ってくれた。それ以前は20年間で4回しか勝ち越していなかったのに、この19年でわずか3回しか負け越しシーズンがなかったことを、私は心から誇りに思っている。

私が(1989年に)社長に就任する前、ファンたちから、「パッカーズ最後の黄金期はロンバルディ時代だ。あんなことは二度と起こらないだろう」と電話をもらった。「優秀な人物さえ連れてくれば可能だ」と私は内心思ったものだ。

Q. GM選びについては3戦2勝というわけですね。マイク・シャーマンは優れたヘッドコーチでしたが、GMとしては苦労しました。ウルフ引退後に彼にGMを兼任させたのは過ちだった?

私が最も後悔している決断だ。もしいま同じ状況に置かれたら、同じ決断はしないだろう。あまりよい結果が出たとはいえない。ただコーチングの観点からは悪くなかった。12-4、12-4、10-6、10-6だったんだから。しかし選手人事に関してはうまく行かなかった。

だからそう、3戦2勝と言えるだろうね。しかしテッドをGMに招いたときは、恐れていたことが起きてしまった。マイクはテッドとうまく行かなかったのだ。マイクは、自分の上司として外からやってきた相手を好きになれなかった。だからテッドを選んだことについても、全てが私の思いどおりに運んだわけではない。


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Q. テッド・トンプソンGMの契約延長を疑問視する声は?

いや、ないね。君の言う意味はわかるよ。もしこれが8勝8敗や7勝9敗だったら、きっと批判があったことだろう。昨年4月の時点で、ランディ・モスのことでいろいろ言われたばかりだったんだから。しかし今季の成績と、これほど早くチームを上向きにしたことに、ファンも敬意を払っていると思う。

契約延長するにはよいタイミングだった。物事がうまくいっているときは、リーダーシップの継続性が大事だと思う。これでまたチームが1つになっていける。マイク・ホルムグレンが去ったときは、本当に私にはこたえた。ロンが去ったときもだ。まさかと思ったよ。私が退団しても、どちらか1人は残っていると思っていたから。

Q. マイク・ホルムグレンHCロン・ウルフGMは、現在のマッカーシーHCとトンプソンGMのようにはうまくいってなかった?

おそらく最初のうちはうまくいっていた。チームが成功を収めるうちに変わっていったのだ。最初のうちはうまくいっていたのに、だんだんと呼吸が合わなくなってしまった。テッドとマイク(マッカーシーHC)はいま非常に緊密にできているから、それが続くよう期待している。

Q. NFLはいまや巨大産業で、冷酷非情な人々も珍しくありません。しかしあなたの運営スタイルは、思いやりを欠かさず、勝利や金以外のものも大事に、という感じですね。それはこの球団のせい、それともあなたの個性によるものでしょうか

私のアプローチは常に変わらない。球団の者に対し、声を荒げたことは一度もないんだ。本当だよ。誰とでも面と向かってじっくり話し合えば、どんな問題も乗り越えていける。

私はきっと敵対的な人間関係が好きじゃないんだね。自分は部下を正当に扱ったと思いたい。優秀な人間を雇って、敬意を持って彼らを扱い、彼らの仕事に何が求められるか言い聞かせるよう努力してきた。上司の顔色ばかりうかがったり、上司のための決断をするようになったら、優秀な人材を雇う必要なんてない。空席にしておく方がマシだよ。


人々を丁寧に扱えば物事はうまく行く、という感覚が自分にはあるのだと思う。それ以外のやり方で運営する方が私にとっては難しい。そうなったら自分が自分でなくなってしまう。独裁者のように座っていることなど私にはできない。先日の(新社長選びの)一連の面談で、はっきり言ってそういったタイプの人たちも何人かいたんだ。彼らについての話を聞くと、「あの個性ではここではうまくいかないな」と思えたものだ。ファンはこの球団によく合った人物を求めている。彼らは社長に直に電話をしたいし、「ボブなら自分で質問に答えてくれる」と期待している。マーク・マーフィにもそのことは伝えた。ファンたちは、自分も球団の一部であると感じていたいのだ。

Q. 1971年にアシスタントGMとして球団に加わって37年、これでいよいよ終わりという実感は?

今夜この部屋を出て鍵を手渡し、「じゃあこれで」と言うときがつらいだろうね。37年間もここで働いてきたんだから。しかしコミュニティ関連部門では多少仕事をするし、パッカーズ・ホール・オブ・フェイムの理事も続ける。だから、毎日出勤しないといっても多少のつながりは残るよ。

しかし妻にはたっぷり借りがある。10年前からドア郡(グリーンベイ東北方の保養地)に家を持っているのに、そこでまる1週間を過ごせたためしがない。ゆっくり楽しむつもりで毎回行くんだが、3日もすると、ロンバルディ通り1265番地(球団本部)に戻ってあの件の経過を見守らなきゃ、って気持ちになってしまってね。

遠征試合には今後は同行しないが、ホームゲームはこれまで通り観戦するよ。穏やかな秋の土曜日、散歩したり、カレッジフットボール観戦もいいね。来週は夫婦でマディソンに行ってウィスコンシン対インディアナのバスケットボール、それからアイスホッケーも応援する。こんなことはこれまでできなかったことだ。大きな変化? もちろんだよ。でもそろそろ、そうすべき時なのだろう。そもそも定年は70歳だったのに71歳になってしまい、すでに1年延長しているんだから。



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